海外に出ても変わらないこと

海外に出て変わったことのひとつに「思考の幅」があると書きましたが、当然変わらないものもあります。というか、変わらないものの方が多いと思います。

これは 変わるもの と 変わらないもの を比較した上で 変わらない>変わる という議論ではありません。海外に出るという「大きな変化」というイメージに比例した変化は、ただ海外に出るだけでは起きない、という話です。

例えば、英語圏の国に住めば英語が出来るようになるかと言えば、まったくそんなことはありません。海外に出るっていうことの「なんかスゲー」というイメージに見合った英語のレベルアップは、出るだけでは得られません。現地のコミュニティにどっぷりつかるなり勉強するなりしないと上達しません。

「変わるためのチャンス」は海外に出る事で何倍にも何十倍にも広がります。そのチャンスを活かすためにどれくらい努力できるか、というのがポイントになる訳ですね。

当たり前のことを書いているように見えますが、このチャンスを前にして「いやいや相当ハードっすよ」と思います。海外に出ること自体、それなりに勇気のいる決断です。ちゃらんぽらんで高田純次のような生き方を目指している私ですら、シンガポールに来ると決めるのはそこそこ悩みました。

それだけ難しい判断をしたのに、出るだけではあまり意味がなく、さらに努力しないといけないというのは、いやはや酷な話です。泣き言のひとつでもいいながら日本料理屋でサッポロビールでもあおりたくなります。ビールは現地のものも美味しく楽しめますが。

海外に出てから、海外に出たことに対する本当の意味を問われる、というのはなかなか面白いものです。