考え方の幅

海外で生活を始めると、すごく大きな変化があることに気づきます。何事も考えたり話したりするとき、国名がつくようになることです。

例えば今借りている家の話をするとき、必ず「シンガポールの家は」という前置きが入ります。そんなの当たり前じゃん、今住んでいるのはシンガポールなんだから、と言ってしまえばすごく些末なことですが、この「シンガポールでは」「日本では」「○○の国では」という言いかたは自然と自分の思考の幅を広げてくれると思うのです。

これまで何を語るにしても、自然と思考の幅は日本国内に限定されていました。海外との対比を意識的に語ろうとする時にだけ、意識的に思考の幅を広げ、意識的に「○○の国では」という言いかたをしていました。しかし、一定期間海外に住むと、自然と「○○の国では」と発言するようになり、その発言によって思考の幅が広がるようになります。つまり無意識的に、日本国内で物事を語る姿勢から少なくとも2か国間の対比の上で考えられるようになるのです。

この癖は私にとって、「海外気取りの嫌な奴」みたいに思われるんじゃないかという恐れもありつつ(笑)、海外の事だけではなく日本について再発見することもある、いい機会になっています。