自動通訳・自動翻訳を使いこなせる人、振り回される人の違いとは

ニューラルネットワークなどの新技術の活用により、自動通訳や自動翻訳の精度が飛躍的に向上し続けています。それに伴い、外資企業による日本市場への新規参入や企業買収、はたまた自社の海外市場への進出により、今まで以上に外国人との協業が増えていくと考えられます。

外国人と日常的に働くことになったとしても、自動通訳や自動翻訳さえあれば何とかなるだろう、という論調を、時たま見かけることがあります。しかし、自動通訳や自動翻訳を上手に活用して外国人とともに大きな成果をあげる人と、自動通訳や自動翻訳に振り回されて外国人との協業がままならない人とに分かれるのではないでしょうか。もしそうだとしたら、その差はどこにあるのでしょうか。

「Yes, I can.」=「はい、できます」で良いのか

私が経験したとあるプロジェクトは、アメリカと東南アジア出身者から成るグローバルチームでした。チームでの公用語は英語であり、私は毎日ひーひー言いながら英語での業務にくらいついていました。彼ら・彼女らとのミーティングを重ね、合意に達し、プロジェクトを進めていくうちに、英語のような世界共通語と捉えられている言語において、使用する人の文化的バックグラウンドによって、単語に込めた意味や、解釈の仕方が変わることがあることに気がつきました。

例えば「これはできますか?」という問いかけに対し、「Yes, I can.」といったシンプルな回答が返ってきたとします。日本側のステークホルダーは「これ」と指定したことに加えて、その周辺領域もふくめてできるかどうかを検討していたのに対し、アメリカ人の同僚は「これ」のみしか考えてくれない場面が少なくありませんでした。そのためプロジェクトの中では、日本人から見ると「なぜアメリカ人は、言われたことしかやらずに、気を効かして行動してくれないんだ」、アメリカ人から見ると「なぜ日本人は、やれと言ったこと以外の細かいことにまで時間をかけて議論しているんだ」といったストレスを、しばしば生んでいました。

このプロジェクトでは幸いにも、チームリーダーがこの手のコンフリクトの扱いに慣れており、間を上手く取り持ってプロジェクトを進めてくれました。しかし、もし「Yes, I can.」に込められた意味の違いに気づかず、自動翻訳や自動通訳から吐き出された「はい、できます」という言葉のみを見ていたら、二者間でのコンフリクトがいつの日か大きな問題となっていたかも知れません。

自動通訳や自動翻訳が代替する能力とは

ここで考えたいのが、自動通訳や自動翻訳が代替する人間のスキルとは、一体どのようなものなのか、という点です。自動通訳や自動翻訳が代替するスキルとは、もちろん言語能力に他なりませんが、そもそも言語能力は非常に複雑な能力です。研究者の間でも議論が分かれるほどと言われていますが、大まかには「理論言語学アプローチ」と「認知・機能主義アプローチ」、「社会文化的アプローチ」が挙げられるそうです。

ざっくり言えば、理論言語学アプローチは言語能力=文法的な知識を持ち、文章を解読したり、新しい文章を作ったりする能力のことを指します。一方で「認知・機能主義アプローチ」や「社会文化的アプローチ」は、言語能力をより広範に捉えており、文法知識に加えて特定の状況のなかで適切に言語を使用するための知識、コミュニケーション上で問題が起きた時にどのように対応するかといった方略も言語能力に含めています。

例えば日本語の場合、目上の人や、知り合って間もない人に対しては敬語を使うことが一般的です。また二者間で何かしらの問題が起きた際に、後々不利な状況に陥ることを防ぐために中国人は簡単には謝らことが多い一方で、同じ態度を日本人に取ると火に油を注ぐことになりかねません。そのため、日本人相手には(もちろん言葉を慎重に選んだ上で)まず謝罪をすることが効果的なことが多いと思われますが、「認知・機能主義アプローチ」や「社会文化的アプローチ」は、このような方略も言語能力として捉えています。

「今の場面では、こう言った方がいいですよ」と勧めてくれるか?

自動通訳や自動翻訳の精度が今以上に上がり、理論言語学アプローチ的に正しい文章、つまり文法的に完璧な文章を吐き出してくれる日が来ることは、想像に難くないでしょう。しかし後者2つのアプローチ的に適切な言語能力を身に付けた自動通訳や自動翻訳、言い換えると自動通訳や自動翻訳が「相手はこんな文化的バックグラウンドを持っているので、今の場面では、こう言った方がいいですよ」と勧めてくれるようになるのでしょうか。また、私がしばしば頭を悩ませた「Yes, I can.」問題について、相手のバックグラウンドも考慮して適切な訳語を用意してくれるようになるのでしょうか。(もはやここまで来ると、通訳や翻訳のレベルを通り越してデジタル秘書と呼んだ方がいいかも知れません)

AIの進歩には目を見張るものがありますので、デジタル秘書のように振る舞って通訳・翻訳をこなす技術もいずれ登場するでしょう。しかし、現状の自動翻訳や自動通訳のレベルを考えるに、文法的に正しい文章の出力ができるようになってから、コミュニケーション上の方略まで含めて提案してくれるようになるまでには、しばらく時間がかかるように思います。少なくともそれまでの間は、人間がそのギャップを埋めてやらねばなりません。

そしてそのギャップを埋めるスキルを持った人は、自動通訳や自動翻訳と自分の専門スキルとを組み合わせて、これまで以上に高いパフォーマンスを出すことができるようになるでしょう。反対に、自動通訳や自動翻訳が吐き出す訳語を額面通りに受け取っていては、相手の真意を正確に読み取ることができずに、仕事がうまく進まなくなってしまうのではないでしょうか。

自分自身も色々な所で失敗を重ねていますので、気を付けないといけないなぁと思います。