書評:「21 Lessons」現代社会が抱える問題をどのように捉え、アプローチすべきか?

歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリ著「21 Lessons」を読み終えました。「サピエンス全史」では過去を、「ホモ・デウス」では遠い未来を、そして本書では「今ここ」に強烈なスポットライトを当て、現代社会が抱える問題をどのように捉え、そしてアプローチすべきかを論じています。

タイトルにもある通り、21の課題(実質的には課題は20で、最後のひとつはアプローチだと思いますが)について、それら問題の本質の深堀と、どう考えていくべきかが書かれています。これだけ広範にわたるトピックを扱うだけでもすごいのですが、圧巻なのはその深さ。遠い過去の史実と果てしない未来の予想とを縦横無尽に飛び回りながら、それぞれの現代社会の課題の本質を抉り出していくその姿は、痛快としか言いようがありません。

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新しいテクノロジーが「雇用」に与える問題の深刻さ

例えば第2レッスン「雇用」について。指数関数的に性能の上がるAIやロボットが、人々の雇用を奪うという未来予測は、あちらこちらで論じられています。私はそのインパクトについては、正直ちょっとしたルーチンワークが奪われる程度、人と人とのやり取りが必要な仕事やタスクが取って代わられるはずはないと、高を括っていました。しかし著書の中では

「2 雇用 —– あなたが大人になったときには、仕事がないかもしれない」より

雇用の喪失の恐れは、情報テクノロジー(IT)の興隆からのみ生じるわけではない。ITとバイオテクノロジーの融合から生じるのだ。機能的磁気共鳴画像法(fMRI)スキャナーから雇用市場までの道は長く曲がりくねっているが、それでも数十年のうちにはたどり終えられるだろう

と、IT技術が人にとって代わるという単純な図ではなく、ITとバイオテクノロジーがタッグを組み、これまで人手では成し得なかった手法で「仕事」をより上手く行う未来がやってくることを示唆しています。さらにはAI技術は「接続性」と「更新可能性」を持っていると指摘。何百万人の「独立した」人間が、何百万の「互いに接続され、瞬時にアップデート可能な」コンピューターやロボットで、仕事を巡って戦う訳ですから、我々人間に勝ち目などあるのでしょうか?

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新たに生まれる仕事は、この問題を解決しうるのか?

これに対して、産業革命時代を引き合いに、AI技術によって仕事が失われると同時に、新しいテクノロジーは雇用を生み出すはずだ、という反論もあるでしょう。しかしハラリ氏によれば、そんなに楽観的に構えていられる訳ではなさそうです。本書の中では、確かに新たなテクノロジーは新たな仕事を生み出す可能性は認めつつも、それ自体が決して解決策にならないことを指摘しています。

「2 雇用 —– あなたが大人になったときには、仕事がないかもしれない」より

とはいえ、こうした新しい仕事はみな、一つ問題を抱えている。おそらく、高度な専門技術や知識が求められ、したがって、非熟練労働者の失業問題を解決できないのだ。
(中略)1920年に農業の機械化で解雇された農場労働者は、トラクター製造工場で新しい仕事を見つけられた。1980年に失業した工場労働者は、スーパーマーケットでレジ係として働き始めることができた。
(中略)だが2050年には、ロボットに仕事を奪われたレジ係や繊維労働者が、癌研究者やドローン操縦士や、人間とAIの銀行業務チームのメンバーとして働き始めることはほぼ不可能だろう。彼らには必要とされる技能がないからだ。

新しい技術によって生まれる仕事と失業者とのスキルギャップは、産業革命時やIT技術の勃興が始まった時代のそれとは比べ物にならないほど大きくなっており、失業する人を訓練することが困難であることが予想される、ということだそうです。結果として、働き口は十分にあれど、それに見合うだけの人がおらず「人手不足だが失業率も高い」という地獄絵図のような状況が起こりかねないのです。

少し横道に逸れますが、リンダグラットン著「WORK SHIFT」でも同様の問題に触れており、この問題に対して個人がどうすべきかという具体的な処方箋を提供しています。雇用問題にどう対応すればいいか、という前向きな議論に触れたい方は、ぜひお手にとってみてください。

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思考し、議論し、実践していくこと

雇用の問題をはじめ、本書で触れられている20の課題は、それぞれ簡単に答えが出せるようなものではありません。また、難しい課題だからと言ってさじを投げ、他の人が解決してくれるのをじっと待つことは、自殺行為に等しいと言っても過言ではないでしょう。ハラリ氏が本書で提供してくれた「明確さ」を羅針盤に、各種問題について絶え間なく思考し、議論し、そして実践していくことが、本書の読者の責務なのだと思います。

幸いにも、ハラリ氏によれば、人間にはそれなりの時間が残されているようです。とは言え、あまり悠長なことは言ってられそうもないですが。

「21 瞑想 —– ひたすら観察せよ」より

あと数年あるいは数十年は、私たちにはまだ選択の余地が残されている。努力をすれば、私たちは自分が本当は何者なのかを、依然としてじっくり吟味することができる。だが、この機会を活用したければ、今すぐそうするしかないのだ